山梨フルーツレディー

山梨県の農畜産物を県内外にPRする山梨フルーツレディーたちです。
フルーツのようにみずみずしく、フレッシュな彼女たちにご声援ください!

後藤斎山梨県知事に県産果実を贈呈する“山梨フルーツレディー”         報道関係者のインタビューに答える山梨フルーツレディー

「山梨フルーツレディー」のルーツ

山梨県・JAグループで組織する山梨県農畜産物販売強化対策協議会(關本得郎会長)は、県産農畜産物を県内外にPRする「山梨フルーツレディー」9人を委嘱しています。

選任は一般公募ではなく、JA・連合会から推薦された現役女性職員で構成されています。
例年フルーツレディーの活動は、6月の県産青果物の本格的な出荷の始まりに合わせて出番も多くなり、活動が活発になってきます。

名称変更したものの「山梨フルーツレディー」の歴史は古く、遡っていくと昭和29年ぶどうの産地だった勝沼町は、町村合併を果たし観光事業に力を注ぐようになり、東京都内を対象に宣伝を実施。その際、県の広報車「ひかり号」を利用し、「ぶどう娘」28人と「ぶどう100貫」を乗せ、都内を巡回し山梨のぶどう宣伝に努めました。
昭和30年にもやはり「ひかり号」を利用し、ももの消費宣伝を都内で実施。当時は朝の3時に出発し、笹子峠を越えての遠征だったので、前夜から農協に泊り込んでトラックにももを積み込み、行列を作って東京に乗り込んで都心の要所要所で「もも娘」が通行人にももを手渡して、山梨のももを宣伝しました。

これに始まって昭和59年、県内在住の未婚者で果物に関心があり、消費宣伝の各種行事に参加可能な女性を「フルーツコンパニオン」として募集しようとしましたが、早急に活動が要請されていたので、会員農協から10人の推薦を受けたのをきっかけに選任は一般公募ではなく、JA・連合会から推薦された現役女性職員が務める形が今に続いているようです。

昭和63年から山梨県農畜産物販売強化対策協議会の所属となり、平成元年からは果物だけでなく野菜も宣伝する「フルーツのF」と「ベジタブルのV」をとった「FVコンパニオン」と名称を変更し、現在は「山梨フルーツレディー」として引き継がれています。

メンバーのなかには果樹農家で実際に果実を栽培している方もいるので、その視点から直接消費者に細部にわたりおいしさを伝える懸け橋として、またフルーツだけでなく県産農畜産物全体の宣伝に欠かせない存在となっています。
県内での活躍はもちろん、東京、名古屋、大阪など県外のPRに向け、フルーツのよう にみずみずしくフレッシュな彼女たちの活躍が大いに期待されます。

山梨フルーツレディー